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政治と人
政治と人との関わりあいは、古来より、全世界で試行錯誤されてきた。
そして、今日に至っても、試行錯誤を続け、そのベストの方法で歩んでいる国というのは、なかなか見当たらない。

絶対的多数を占める民衆が、いかに、はつらつと、心地よく日々暮らせるかの度合いによるところが大きいだろうが、およそ政治というのは、本来の意味をかけ離れて、大なり、小なり、恣意的になり、公私混同が進み、退廃していく要素を大きく内包している。

それは、人が、持っている本質的なものに起因するかもしれないが、
 「人は、大金を持ったら、性格が変わる。」などと、まことしやかにささやかれていることは、政治権力についても、いえることである。

わが国日本も、その意味では、政治家や官僚などの一般市民からは、かけ離れた倫理観を形成する特権階級を多く抱える現行の政治体制は、江戸時代のそれと、本質的には、なんら変わらず、ただ、堂々とやっているか、こそこそやっているかの違いで、甘い汁をすする輩のはきだめである。
戦後日本の政治が、何をやってきたかといえば、勤勉で、よく働く国民の上にあぐらをかいて、湧き上がる税収を、能書きを並べて無造作に無秩序に、だだらに、浪費し、その上膨大な借金まで作ってきただけで、その実は、極めて薄く、それは、政治という名のゴシップに過ぎない。
この悪しき風習は、いまだ続いて、とどまるところを知らない。

いつまでも、ずるずると安っぽい議院内閣制を続け、特権化していく意味など、どこにあるのだろうか。
「政治家は、お金がかかる。」という彼ら自身が作ったマヤカシに乗って、年間数千万のお金を費やし、いったい善良な一般市民が、何を得られるというのか。また、得たというのか。

完全なる聖域を作って、安穏としている者たちが、「改革」などと叫んでみたところで、机上の空論に他ならない。
まず、自分たちの給料を減らしてから、ものを言うべきであり、それが、民主主義というべきものの、普通の入り口である。
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【2006/01/30 00:45】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
人は、皆、何かについて、天才だ。
私は、むかしから、こう思っている。

人は、皆、何かの天才だ。

ただ、その対象を一生のうちに見つけることができるかの違いだと
それに巡り合う取っ掛かりが、自分以外に与えられるか、自分で探し出してくるかという環境の問題も大きく作用するだろうけれど、本当に自分に向いているものを探して、そのことばかり考えて、努力すれば、他人より前に出られる。
そして、人智を越える領域まで、至ることができると信じている。
全ての人は、今からでも遅くない。年齢も関係ない。
探してみよう。意外なところに自分の才能というものは、転がっているものだ。
天才の本分は、与えられた才能を、探して、みつけて、うちこみ、伸ばして、使い切って一生を終えることだ。

人それぞれ、必ず、何かあるはずだ。
そう信じている。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

【2006/01/26 00:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
虚業の果て
虚業というのは、実体のない仕事という意味だが、それが、あばかれてしまえば、哀れなものである。
ライブドアの問題、耐震偽装の問題、小泉内閣の施政方針と一気に流れ出してきたが、それぞれの実態が、露呈するタイミングを待つだけの状態にさしかかってきた。
とかく、日本の現状は、マスコミや世相によって、一極的に流れ、そして、早々に忘れ去られる風潮に長らく陥っているが、ここで踏ん張らなければならないのは、我々一般市民個人個人の良識というやつである。おおよそ、時の人としてでてくる人物たちの中に長らく良識というものをみつけることができないので、結局、個々人の良識に頼るしか取りつく島がない。
国の根幹を担っている政府や政治家、官僚の類を見てみても、いかにも安っぽく、利己的で、まさに空虚である。今回浮上してきた問題についても、利用するだけして、その利用先の按排(あんばい)が悪くなると、捨て去って、己の責任回避の道だけを探ることを繰り返す。
これが、我々が、選挙で選んだ政府、政党、政治家たちの実像なのである。
とっくにライブドアの危うさは、多くの人に知られていた。それなのに政権政党である自民党は、その社長を推し、経済学者出身の竹中氏が、それに気づかなかったと、シラを切り通して、改革と称する泥沼へと善良な国民を誘い込む。
私は、公の人である前に、誠実な人間性の下に、歩んでいくことが、至極当然なことだと思うのである。
間違えれば、悔い改めればいい。それが人間の所業である。それなのに嘘をつき、ごまかし、シラを切り、自己保身に走る。そこに人としての誠実を見ることはできない。
今までの政治家たちが、あまりにもどうしょうもなかったので、よく見えてしまっているが、やっていることは、対して変わらない。
改革というバカバカしいお題目の上に、国民が踊らされ、実際にやっていることは、閣僚、官僚に肝心なことは、マル投げで、国の借金は増え、天下り先を増やし、郵政民営化の名の下にアメリカの外圧に屈する。日本というもともとすばらしい国の価値を下げ、己の虚栄心を満たすだけの、暗愚の首相をいつまでも、かつぎ上げる民意というものが、何とかならないものか。
日本という国は、あくまでも、勤勉でよく働く人口比でほとんどを占める善良な市民の働きで、もってきた。今回の景気回復の兆しも当然それが、全てといってもいい。しかし、この景気回復は、政策の成果だと首相は、吠える。彼は、国民の自助努力を褒め称えたことが、ほとんどない。自らの敷いた得体の知れない改革というレールを、褒め称え、擁護し、絶賛することばかりで、核心部分の精査を全く度外視している。そんなところからも一端がうかがえる。
民意をほとんど反映しなくなりつつある昨今の国会制度、国民のためと言いながら、その実は、利権をむさぼろうとする国会議員の説得に終始するあり方を、根本から変える気がないのなら、それは、改革という名前からは、ほど遠い産物なのである。
彼らが、やろうとした郵政民営化が、族議員や、官僚や、天下りの一派の利権をそいで、アメリカの利権へと移行しただけであることは、いづれわかることであろうけれど、もはや虚業といってもはずれではない政治家業、国が、大借金を抱えつつ、大金を使って無駄に大勢いる政治家を養っていく責務が、もはや一般市民にどれだけあるのか。
もう能書きと、間抜けな顔を見るのは、うんざりである。
そろそろ、政治方面から、まともな、民主主義のにおいをかいで見たいのである。
【2006/01/24 04:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
普遍性
人は、今日までの自分と、明日の自分が、違うことにあまり頓着がなく本当は、後退しているか、前進しているかのどちらかで、平凡な日々の中、劇的な何かが、起きない限りは、その歩みの小ささゆえに、気づかないままで、日を負っていく。
月日が、川の流れの如く、元に戻らないのと同様に、人の心も、体も、その時点、地点というのは、一度きりで戻ることがなく、戻すことができない。
それが、人のぬぐいきれない性(さが)で不確定な要素が多いので、どうしても、不安になり、迷い、惑い、行き詰まる。
人の本質は、何とも不安定で、なかなか、安心しきれないところにある。だから、よりどころが、どうしても必要となる。そして、その必要としたものが、普遍的であることを望む。
この最たるものが、宗教であったり、己が信じるところの永遠の愛であったり、友情であったりする。
私は、その信じるところの普遍的なものを、心の中の柱として何本も構築していくことが、不確定で不安定な自分を、信じられるように成れる糸口ではないかと思う。
あくまでも、己が信じるところなので、例えば、何度観ても感動できる映画でもいいし、何度聴いても心の中に響き続ける曲でもいいし、全盛期のスポーツ選手の雄姿であったり、歴史上の人物の爽快な生きざまでもいい。
とにかく、たとえ何年経とうとも、心の中で腐ることのない、古臭くなることのない、心の中で、いつまでも、いつまでも、輝き続ける何かを、探し刻みつける地道な作業を、怠らないこと。
これこそが、健全に前を向いて歩ける自分というものの創り方なのである。
心に刺さって抜けない普遍的な何かを、たくさん柱として持っていれば、人は、前を向いて生きられる。
【2006/01/15 01:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
時間
時間は、あても無く流れていく。
人間の中で唯一100%を許されている死へのカウントダウンなのに。
何が無駄で、何が無駄ではないのかさえ、誰にもわからない。
時間には、無駄という概念が、あらかじめないのかも知れない。
悠久の時を経て、発見されていく遺跡や遺物をみて
現代の人々が、感動したり、勉強になったりする。
そんな時、それまで、土に眠っていた悠久の時は、大いなる意味を持つ

ふとそんなことを考えると、一人の人間が、生を得て与えられている時間は、そう多くないことに気づく。
その生が閉じるまで、せいぜい、思ったことをやれるだけやってみることぐらい、簡単なように思えてくる。
所詮、一人の人間が、やり切れることなど、しれている。
それは、先人たちが、十分すぎるほど教えてくれる。
アレキサンダー大王や織田信長でさえ、石垣の跡や、わずかな遺品を遺すのみで、現代にはもう生きてはいない。
しかし、人が、その偉大さを、遺していくのは、心の伝達である。
偉大な心というのは、必ず、のちの人々に伝達される。
それが、時間と人間との関わりあいなのである。
【2006/01/13 03:05】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
新年明けましておめでとうございます。
少々、ブログから遠ざかっていたら、もう、1月10日になってしまった。
年末は、師走というだけあって、私も、右往左往していたが、年が明けるちょっと前に、京都に一泊で旅行に行ってきた。
私は、今まで、けっこうあちらこちらに行ってきたが、とりわけゴヒイキニしている街がある。それは、京都である。
京都には、今まで、数十回と足を運んでいるが、その都度、また、行きたくなる。これは、私の中に潜む業(ごう)にも似た衝動で、魂を引き付けられる何かがある。歴史がある。心がある。旨いものがある。何せ、たまらないのである。
今年の正月は、京都錦市場商店街で旨い酒や、旨い食材を仕入れて、最高の新年を迎えることができた。特に焼き鱧(はも)は最高だった。

皆さんにとっての本年も、幸、多かれと祈念して、宜しくご愛読のほどを。
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テーマ:日記 - ジャンル:日記

【2006/01/10 01:27】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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