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愛するということ
愛することとは、そう簡単ではない。

しかし、私は、「他人に対する愛」や「自分に対する愛」や「物に対する愛」など、愛には、さまざまな形と度合いを兼ね備えているけれど、それほど、対象について大差はないように思う。

愛着という言葉があるが、最終的にここにたどり着くのではないか。
どこか、心の片隅にでも、着地する切り口を残しているのであれば、それは、愛を持って迎える対象であるし、それが、かつては、着地点を持っていたとしても、今は、もう閉じられてなくなってしまっていれば、それは、もう終わっている。

人間は、着きつ、離れつ、心の作用によって、月の満ち欠けや、潮の満ち引きのように動いて生きていく。
そのときそのときの本当に愛するものに囲まれて生きていくことこそ、真の幸せといえるのかもしれない。

人間の心とは、常に動いている。
浮きつ、沈みつつ生きながら、そこに、すがりつくものは、何かに対する愛なのかも知れない。

私は、その何かに対する愛を、深く持つべきだと思う。
深く、鋭く愛を持って生きることによって、人は、成長することができるのではないか。
怖がらず、溺愛の道をたどるのも、一興か。
愛情や熱情や愛着といったものを、まず、必死で探してみて追いかけてみる人生の妙、ここから、人生の息吹が始まるのではないか。
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【2005/11/30 00:26】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑
輝こうとして生きること
輝こうとして生きることは、きっとどこかで、誰しも持っていることだろう。

ときに一瞬、その瞬間にめぐり合えるときは、これもまた、人生の中にころがっているけど、本質的な解決には、至らないことが多い。

ある人は、カラオケの舞台に立ったとき、ある人は、ギャンブルで大勝ちしたとき、ある人は、会社で他の誰かよりも、営業成績をあげたとき、人によって刹那的に輝ける場所というのは、いたるところにある。
しかし、挙げたような一瞬を手に入れたとしても、ふと次の日一人になれば、また、現実と向き合わなければならない。
それが人生だ。
では、どうしたらいいのか。それは、自分にとって向くべき方角を定めて、一心不乱に、そこに進む努力をすること。
これ以外、道は無い。
向くべき方向を探す過程でほとんど人生が決まる。見つけられないことも多い。
しかし、とにかく自分に正直になって、ぶつかってみる勇気を持つこと。自分を心の底でごまかさない強さを持つこと。自分の人生を全うするビジョンを持つこと。これらを、振り向かずに持ち続ける忍耐力さえ持っていられれば、人は、何かしらかの光を放って生きられる。

とりあえず、どこかへ向かって進んでみる。
間違っていたら、戻ればいい、さがればいい、そこから、這い上がればいい。
本質的に自分を輝かせるのは、これだと決めて、遠回りでもいいから、歩き出せたときから始まるのである。
【2005/11/16 00:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
パリの暴動
パリをはじめフランス各地で暴動が起きている。
どうやら、移民2世の若い人たちの仕業らしいが、なかなか、救いようの無い事態になってきたようだ。
私は、19のときと28のときに2度、パリには行った事があるが、そうとう階級社会であることが、よそ者の旅行者でも、わかった。パリの街のいたるところには、アラブ系と見られる女性が、真冬の路地で、子供を抱いて物乞いをしていたりする。今思えば、たいへん失礼なことだったかも知れないが、こんな真冬の、雪の降る中、子供を抱いて物乞いをするという想像力が、無かった若かった私は、抱いている子供が、本物かどうか、こっそり覗き込んでしまった記憶がある。
このとき、本物の子供を抱いていたことが、わかって驚愕したことを鮮明に覚えている。
とにかく、貧富の差が激しい街だということは、パリという大都市を、自らの足で歩けるだけ歩いて、体で感じていた。
そんな街で、有名ブランドを、買いあさっている日本人の姿を、横目で見て、たいへん複雑な心境になったことも、昨日のことのように思い出せる。
ちょうど、年代を照らし合わせると、その時に見た物乞いをしていた母親に抱かれていた子供たちの年代が、この暴動騒ぎを起こしている年代に一致する。
社会に鬱積した負のパワーというのが、こういった形で出てしまうのは、非常に残念なことだけれど、あの繁華街の中、小さな乳飲み子を抱えて物乞いをせざるおえなかった母親の心を深く刻んで育った子供たちが、やり場の無い怒りを、最悪の形で爆発してしまった彼らの思いを、遠くからではあるけれど、想像すると何ともいたたまれない。
日本も含め、自由や平等を、プラカードののように掲げている国は、たくさんあるが、その実態は、得てしてこういう結末を迎えている国は、少なからずある。
平等という名目のもと,実際は、特権階級をあみだしていこうとする本音とたてまえの政治構造は、西側民主主義各国には、腐るほど見受けられるのである。
問題は、弱者救済の理念が、根底に流れているのか、ここに疑問が持たれる。
【2005/11/08 02:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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