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人間の本性 その2
もうひとつの出来事は、2年前のことになる。
これはまた、人智の及ばないひどい状況が訪れた。
状況は、こうだ。
・父親が、ガンで倒れて、闘病生活に入ってしまった。
・娘が、生まれながらに病院にかかることになり、入退院の繰り返し。
・それにかかる一月の入院費が、月収の2.5倍。
まさに、右も左も向けない状況に陥った。それも、前触れも無く。
そんなときに、愛犬が、人をかんでしまったり、家族が、車をぶつけてしまったり、ここには書ききれないくらい、嘘の話のような不運が、一気に降りかかってきた。
本当に自分の命まで、見えない何かが取りに来ているのではないか。と思えるくらい、自分の力ではなんともできない状況。
一般的には、めったに無い状況だけれど、僕は、そのとき何を思ったか。
自分を試すということにストイックに生きてきたというのが、こんなとき意外と役立った。不気味だけれど、ニヤリと笑えたのである。
「これは、試されている。」
そう取ったのだった。このとき、これが、僕の本性だということがわかった。
まさに絶体絶命の状態に追いやられた自分の状況を、楽しんでやろう。
やるだけやって、だめならそこまでだ。
その時に、もうひとつ頭によぎったのは、織田信長の絶体絶命に追い込まれた時の数々の逆転劇だった。特に信長包囲網を敷かれたときの切り抜け方、これを、体に染み付けておいたのが、効いた。
信長は、軍勢や民衆を統制して切り抜けた。個人のことで四苦八苦している自分が、どれほど小さいことか。たかだか、一家のことを、乗り切れなくて、何者にも成れるはずが無い。
そんな思いで、一家としては、存亡の危機となるほどの状況を切り抜けられた。
結果的に父親は、病魔に勝てずこの世を去り、娘は、まだ、病院にかかっているけれど、今とこのときとの大きな違いは、人生のなかでも、もうないぐらいの絶体絶命な状況を切り抜けたことによる自信を得た事と「ピンチの後には、チャンスあり。」という野球界の格言を信じて、会社を辞めて自営の道を歩み出せたこと。
このときの苦境は、死ぬまで忘れないと思うが、土壇場でようやく確認できた自分の本性と向き合って、自分の道を極めたい。
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【2005/10/31 16:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
人間の本性 その1
人間は、本来、みんな弱いものである。
これを本当に理解するまでには、少し時間がかかる。
自分の本当の強さだとか、弱さだとかいうのは、自分の中での本当のピンチに遭遇するまでは、なかなかわからないものである。
これは、ほとんどの部分を、自己暗示をかけて強さや弱さを、自分なりに強調して生きていかなくてはならない社会的習性を持つ生き物だからである。言い換えれば、野生に近い本性むき出しでは、生きづらい生き物であることがいえる。
だから、誰しも自分でもわからなくなるぐらい本性というものが、まぎれてしまう。
自分の本性って?形容すれば、竜なのか蛇なのかミミズなのか、心の中に潜み見えつ隠れつする生き物みたいなものとできるか。
僕の中でこんな二つの事があった。
ひとつは、20代の前半頃だったけれど、けっこう無茶をして、やろうと思ったことを、ひと通りやってみて結果が出なかった。残ったのは、財布に7円にアパートで一人。明日の収入のあても無い。電話も電気も水道も止められていく。豊かな日本の中で考えられない過酷な状況に陥ってしまった。
阿呆といわれるかも知れないが、自分というものの本性を殺して、生活の維持のために働くことに早くから、疑問を持っていたので、
”自分の本性に即したなにものか”に成れなければ、己の価値など無い。と固く信じていたので、これも天命と思い家にこもった。
やるだけやった。そんな思いのもと、そうなったのなら甘んじて受けようと心を決めた。つまり、自分の人生を天に託したわけだ。そのとき、自ら命を絶とうという心持は一切無かったが、一切食べられない日が、何日も続いた。誰にも、助けを求めない。自分の中での葛藤。自分の心根は、本当は何なのか。阿呆というかストイックというか、それこそ自分の本性というものを、健全ではない形で試してみたのだ。
そして、10日が過ぎた。本当の飢餓状態というのが、訪れた。頭の中をさまざまなことが、めぐり始めた。いっこうに、何の明かりも見えない。自分は、いったい何者なのか。という問いかけの繰り返し。このまま、餓死していく定めなのか。それが、だんだん”無”という胸中に達していく。極限状態だった。
そんななか、12日目の午前中に一人の来訪者があった。以前職場で一所になったNさんという飲み仲間だった。年は、父親より上で、仲良く大酒をあおった仲だった。「どうしてるかなと思って。」そんな訪問だった。たまたま、家が近所だったので、忘れた頃にお声をかけてくれる気の合う友達だった。僕は、そんな状態だったけれど、一切状況を説明することなく、いつものように愉しく語り合おうとしていたけれど、そんなとき「腹減ってない?」などと聞くような野暮なこと言い出すNさんではなく、状況を察してくれたのか、1万円を差し出して、「好きなもの、買ってきて。」などと言ってくれた。内心ありがたいと思ったけれど、拒む自分が、まだそこにあった。信じられないけれど、断れる自分が、そこにあった。そこでNさんは、「俺が、腹減ったから」などといってくれる。結局、押し切られて近所にコンビニにいくこととなった。そのうち2,3000円を使って、その場で2人食べるものをかわせてもらって、帰ったら、「全部使ってくれて良かったのに」などと言ってくれた。これは、神の仕業なのか?そんな気さえした。
そこでいつもの談笑が、始まったけれど、僕にいつものようにしきりに言ってくれることがあった。それは、「俺は、信じている。絶対おまえは何かができる男だ。」ということをこのときも強く強くに言ってくれた。
飢餓状態で、遠慮して買わせてもらった食べ物と励ましの言葉。
そのとき、ようやく目が覚めた。
まだ、自分には、やらなければならないことがある。死ぬわけにはいかない。
その時にNさんが来てくれなければ、間違いなく今は無い。
神の仕業なのか?Nさんが、来てくれたから今がある。
深い感謝の念が、湧き上がるのである。
今となっても、まだ、Nさんが言ってくれた、”何か”ができるまでは達していないが、ようやく、足がかりのようなものまで、たどり着けた。その時にわかった自分の、本性の中に一点の澄んだところを持ちあわせていたことが、今の生へとつながっている。
ふと今でも、そのときのことを考えると、感謝の思いと不思議な思いが交錯して、人間というのは、生きているのではなく、生かされているんだということを、つくづく思うのである。
つくづく感謝!!
【2005/10/30 02:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
歴史のススメ
「歴史」というと、案外日本人は、毛嫌いする人たちが多いような気がする。
これは、暗記科目にしてしまった日本の歴史教育の誤りが、そうさせていることが、多分にあると思うけれど、一歩進んでみるとなかなか面白い。
そこで「歴史」というジャンルをどう捉えるか。
だけれども、これを、人間ドラマの集大成として捉えてみてはいかがだろう。
人間ドラマ、そう捉えるとわかりやすい。ほぼ一冊で、偉い人や凄い人やむちゃくちゃな人の実際あった人生が、疑似体験できる。
これを、たくさん知っていて損はないのではないか。
だって自分の人生の明日のことなんて誰もわからない。
たくさんの人生のパターンを頭の片隅に入れておくと、これが、意外と役に立つ。
そこそこ、いろいろ読んでいくとその人生のターニングポイントのようなものが見えてくる。これが、ミソである。
自分の中だけの狭い感覚やこだわりだけで生きていこうとすると、選択肢を自分で狭めてしまうことがよくある。
そんな中、例えば、坂本竜馬が、住み慣れた故郷を捨て、家族を捨ててまで、真っ暗な山の中を希望と使命感だけを胸に走り抜けていくときの心境を想像してみたとする。
これが、自分の人生に想像力を付け加える手助けをしてくれることになる。
今と必ずしも環境は、一致しないことがあるけれど、その中でも、自分の人生と照らし合わせる想像力を持ってみること。
これができれば、いずれ、必ず誰にもやってくる決断の時々を、乗り越えるヒントと成って帰ってくることを約束しよう。
僕は、この歴史の本を10代の頃から、読みあさった。今でも、読み続けているけれど、何をここから学ぼうとしてきたか。
それは、人生のヒントが隠された宝の山だということに早くから、気づいたから、それを、予習して頭の中に叩き込んでおくことが、必ず、役に立つときが来ると確信していたから、そこのところを学んできた。
最後に昔の人は、よく言った!!という一言を
   ”温故知新”
意味は、昔の人々の営みの中には、今の人でも気付かないような、物凄く新しい発想が、いっぱいあるということ。
ご参考までに

テーマ:歴史小説 - ジャンル:本・雑誌

【2005/10/21 23:49】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
読書のススメ
本を読むことは、人格の形成にたいへん重要だ。
本を読むということは、理解をするために一度作者の考えを素直に入れる作業が必要なので、頭の扉を少し開けることになる。
この頭を解き放つ作業を繰り返さなければ、錆び付いてしまう。
頭が、錆び付けば、人間自体が錆び付いてしまう。
よく観念的で、頭の固い人と接するが、経験上、本をあまり読まない人が多い。
つまり、狭い自分の考えの中だけで何年も何年も日々を過ごせば、どんどん自分の本能的な部分に依存した人格が形成されていく。
しかし、この読書も、同じ分野のものばかり読むのは、かえって逆効果になることがある。
読書も食べ物と同じでバランスが必要だ。頭の中も、同じものばかり吸収していると、周りが見えなくなってしまう。これもまた、本を読まない人同様に凝り固まった人格ができやすい。
よりしっかりしたグローバルな自分を創ろうと思うのなら、あらゆるジャンルの本を乱読してみることだ。
そして、広い見識、知識を身につけて、芯の強い自分を創る。
一見、本を一冊一冊読んでいくことが、遠回りで面倒くさそうに思えるかもしれないけれど、これが、一番の近道だ。
読書から得た知識が、やがて「知恵」にかわることに気づけば、これが、大いに人生に幅を持たせる。
人生で窮地に立ったり、逆に最大のチャンスにさしかかろうとしたときに最強の武器になる。
私は、この本を読むということが、20年くらい習慣になっていて、いまだに、手当たり次第に本を読みあさっている。おかげで、自宅は、本の山だが、まだまだ読み足らない。それだけ、私にとって、本を読むことは、人生の中で大いに役立ってきた。
もちろん、本を読むだけでは、人生の成就はありえないので、当然、そこで得た知恵を、できる限り実生活で役に立てなければならない。
しかし、いつ今読んでいる本が、役に立つかは、わからない。だから、よりたくさんの本を読んで、確立を上げるのだ。
読書から得た幅広い見識は、必ず人生の役に立つ。
そう信じて読み続けるのである。

テーマ:コラム - ジャンル:日記

【2005/10/17 17:03】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
一所懸命になる。
一所懸命になること、これは、たいへん大事なことだと思う。
あたりまえのようだけれど、これが、なかなかできない。
それは、一所懸命にやってるつもりになってことが多いからだ。
一所懸命にやるということは、その場面場面で、ベストを尽くすということだが、どうしても基準が自分の中になってしまうので、甘くなりがちで、他人から見れば、大したことなかったりする。
そこに、少し周りを振り返って客観性という余裕を入れると、案外自分の頑張りが見えてくる。
嫌な事だって、ちょっと気合を入れてやってみる。
そうすると、他人のためになっていたり、やる前より嫌じゃなかったりする。
嫌なことも、好きなことも、ちょっとだけ頑張ってみる癖をつけてみる。
そうすれば、その頑張りだけ前に進んだ自分に気づく。
そして、その積み重ねが、大きな自分を創る。
【2005/10/12 04:13】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
美術館のススメ
ヨーロッパを旅しているときにひとつ覚えたことがある。
それは、その土地土地の美術館や博物館に行ってみること。
これが、なかなかいい。
美術に対し何の興味も持たず、知識も持たなかった僕が、ふと行ってみたパリのルーブル美術館で衝撃を得た。
あそこは、出展数も、内容も世界髄一だが、意味がわからなくても画家の魂を感じさせてくれる。
直に観てみる。これに尽きるが、圧倒的なものである。
作品個々に魂が宿っていることが、充分に素人でも読み取れる。
ざっと流して観ても4時間ほどかかる、膨大なコレクションだが、あれだけの作品に囲まれると、反対に作品に心を覗かれているような、気にさえなる。
ヨーロッパには、主要な都市にはすばらしい美術館がたくさんあるが、どれも良かった。(もちろん、日本にもたくさんすばらしい美術館があるけれど)
それ以来、行く先々の美術館に必ず行く習慣ができたが、芸術家が、命を削って書いた作品に直に対面して自分をの心を覗かれてみる。なにやら、日常とは違った心の動きが自分の中に現れてくる。
そんな体験ができるのである。
皆さんも、お近くの美術館で、一枚の絵と格闘してみてはいかが?
【2005/10/06 16:35】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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